今日の名言 蔦文也(元池田高校監督)
今日のスポーツの名言は、元池田高校野球部監督の蔦文也氏
【わしゃ、死ぬまで毎年、甲子園に行きたいんじゃ。】
蔦監督といえば甲子園で、春夏三度の優勝、二度の準優勝の栄冠を勝ち取った伝説の監督さんでした。
【今日のスポーツの名言 蔦文也】
蔦文也氏は、監督就任20年目の1971年(昭和46年)夏に甲子園初出場。
「さわやかイレブン」旋風を巻き起こし、金属バット採用後は「山びこ打線」の異名を取るパワー野球で高校球界に革命を起こした。
1982年の夏、全国にその名をとどろかせた。
「サインは打て」。
蔦監督はバントのサインをほとんど出さない強気一辺倒で、準々決勝では好投手荒木大輔の早実に20安打を浴びせ、14―2で快勝。
広島商との決勝では初回に開始10分で6点を先行しながら「1点ずつ返されたら6―9で負けるんじゃ」と攻めまくり12―2で圧勝。
6試合で85安打を放ち甲子園を仰天させた。
92年3月、40年間の監督生活引退。
2001年4月28日に肺癌のため亡くなられました。
蔦氏といえば、蔦語録も有名
「そんなことやったら、いつまでたっても徳商に勝てんぞ」 - 甲子園初出場以前の口癖
「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」 - 1971年夏、甲子園初出場時。この言葉は校門横の石碑にも刻まれている。
「さわやかでも何でもない。ワシのしごきがきついけん、ついていけんようになっただけじゃ。」 - 1974年春(さわやかイレブンで準優勝時)
「甲子園はいっぺん味をしめると忘れられへん。ワシは池田に骨を埋めるつもりじゃ。私学は制約が多いし、他県にもよう出ていかんし…」 - 1982年夏(初の全国制覇のとき)
「ワシはバントとかコツコツ当てていく野球は嫌いなんじゃ。野球に理屈はいらん。思い切り、のびのび打ったらええんじゃ」 - 1982年秋
「ワシがノックバットを離すときは監督を辞める時。ワシは死ぬまで離さんぞ」 - 1987年春
今日から高校野球が開幕ですね。
蔦監督ほど強烈なキャラクターの監督さんはもう現れないかな?
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