2009年10月31日
日本代表またも惨敗! U-17ワールドカップ
U-17ワールドカップ 日本予選突破ならず!

3戦全敗の屈辱‥
3戦全敗の屈辱‥
U17日本代表は、この試合に勝てばグループリーグ突破の望みがあるため。
開始序盤から、細かくパスをつないでメキシコ守備を突破しようと試みる。
しかし、メキシコの中央の守備は堅く、思うようにチャンスを作れない展開。
一方のメキシコはサイド攻撃から何度となく日本ゴールに迫り、カンポスが決定機を作り出す。
日本は前半26分 宇佐美がメキシコDFをかわしながらシュートを放つもわずかにクロスバーを越える。
さらに前半30分 宇佐美がペナルティーエリア外からミドルシュートを狙うが枠をとらえることはできず。
両チーム無得点のまま前半を終える。
後半に入って、日本は開始直後に柴崎がビッグチャンスを作り出すが相手キーパーに阻まれる。
後半4分 柴崎から交代した宮市が左サイドを突破し、再三にわたってチャンスを演出。
後半6分 堀米のスルーパスを受けた宇佐美が強烈なシュートを放つ!しかしボールはクロスバーに嫌われる。
この後も宇佐美がゴール前で何度となく決定的チャンスを迎えるが、いずれも決定力を欠いてゴールを奪えず。
すると後半20分にメキシコのカンポスにワンチャンスを決められ、メキシコに先制を許す。
さらに34分にもパッラに追加点を奪われ、万事休す。
シュートを打っても打っても点が入らない展開の試合では、たいがいワンチャンスで相手に得点を決められる‥まさにそんな試合でした。
日本はメキシコに0-2で敗れ、3戦全敗でグループリーグ敗退となった。


グループリーグ全敗の日本‥世界の壁は高かったのか?
昨日読んだasahi.com のコラムで、釜本邦茂のFW論がふと頭に浮かんだ。
早大で1年の時だった。合宿中、夜11時半ごろだったと思う。キャプテンが1年生全員に対し、いきなり集合をかけた。渋々、布団から起き出してキャプテンの部屋に行き、あぐらをかいて座り込むと、「全員、正座をしろ」という。キャプテンはただ、黙っている。そのまま20分間が過ぎ、「部屋に帰れ」と言われた。
何だ、これは? 何で呼ばれたのか、さっぱりわからん。みんなで検討したところ、消灯時間を過ぎてもしゃべっている奴がいたのを、トイレに行く途中にキャプテンが見かけ、連帯責任として罰を加えたのだろうという結論に落ち着いた。
理不尽な仕打ちだった。しゃべっている奴に注意すればいいだけの話だ。ただ、こういう理不尽さは、時には必要だと思う。
サッカーだけでなく、スポーツの中でフィジカル、技術、精神力の3つの要素がどれだけの割合を占めているかというと、結局は精神力が大きいものがある。
体をこれでもか、これでもか、とトレーニングで痛めつけることで、精神力は鍛えられる。反吐を吐くくらいの訓練に耐えることは、スポーツの世界の美徳だ。昔は何かあれば、監督が有無を言わさずにグラウンドを走らせた。体罰にも近いスパルタ訓練を全部が全部、肯定するわけではないが、否定できない面があるのも確かだ。スポーツは降参したら、おしまいだ。サッカーは、どんなに暑かろうが、寒かろうが、試合をやらなくてはいけない。時には、グラウンドコンディションが悪く、雨の中でドロドロになってやらなければいけないこともある。そんな状況で、「嫌だな」と思ったら、その時点で負けてしまう。そういう精神力は、中高生の世代で鍛えるものだ。ギブアップしたら終わり。そうならないようにするための訓練は、若い時に必要だ。
もちろん、プレーそのものは自由にやれば、よろしい。だが、自由の中には責任がある。権利を主張するには義務を果たさなければいけないのと同様、自由にプレーするためには、戦いを絶対にやめないという責任を果たす精神力がなければいけない。
今は、「何のために走るのか」と聞いてくる選手がいる。監督もそれを説明しなければならない時代になった。帝京高校の監督としていた古沼貞雄さんから聞いたことがあるが、「高校はJリーグユースと精神的な鍛えられ方が違う」という。ギリギリの勝負になったら、精神的に鍛えられている方が勝ちだ。Jリーグユースは選手を大事にしすぎているのではないか? 選手が飽きないようにと、練習のバリエーションばかりを考え、鍛えるということを忘れているのではないか? いい素材こそ、ガンガン鍛えなければいけない。時には、何も考えられないくらいになるまで追い込む必要がある。Jリーグユースは勝負を度外視していいところを伸ばすといっておいて、伸ばし切れていないから、みんな80点の選手ばかりだ。プロは100点を出さなければいかんのに、「優」はいても、「特優」はいないのが現状だ。サッカーエリート養成を目的に、日本サッカー協会が福島のJヴィレッジを拠点にして中高一貫で育成を図っているJFAアカデミー福島は4年目を迎えているが、いい選手を出しているのか?
ヤンマーディーゼルの監督時代、30メートルのパス練習を30分間、延々とやらせたことがある。選手というものは練習のパターンを読み、「この練習はそろそろ終わりだな。次はたぶんあのメニューだろう」と、気持ちが次の練習に行くもので、一つのメニューが終わりそうになると段々と雑になってくる。その時は、ひどく雑になっていたから、そればっかりやらせた。
ストライカー養成なら、余計なことをやらせないでシュート練習ばかりさせるんだ。「今日は、あそこに30本入るまでけれ」と、狭い隙間を狙わせて、正確にけらなければ得点など望めないことを体感させなければいけない。繰り返し、繰り返し、やらせることだ。何でここまでやらなきゃいけないんだ? と理不尽な思いをするくらいやる中で、正確性と精神力が備わり、苦しい状況で思った通りのシュートが打てるようになる。無茶苦茶が、実は無茶苦茶じゃない時がある。
プラチナ世代という表現はもうやめよう。。。
開始序盤から、細かくパスをつないでメキシコ守備を突破しようと試みる。
しかし、メキシコの中央の守備は堅く、思うようにチャンスを作れない展開。
一方のメキシコはサイド攻撃から何度となく日本ゴールに迫り、カンポスが決定機を作り出す。
日本は前半26分 宇佐美がメキシコDFをかわしながらシュートを放つもわずかにクロスバーを越える。
さらに前半30分 宇佐美がペナルティーエリア外からミドルシュートを狙うが枠をとらえることはできず。
両チーム無得点のまま前半を終える。
後半に入って、日本は開始直後に柴崎がビッグチャンスを作り出すが相手キーパーに阻まれる。
後半4分 柴崎から交代した宮市が左サイドを突破し、再三にわたってチャンスを演出。
後半6分 堀米のスルーパスを受けた宇佐美が強烈なシュートを放つ!しかしボールはクロスバーに嫌われる。
この後も宇佐美がゴール前で何度となく決定的チャンスを迎えるが、いずれも決定力を欠いてゴールを奪えず。
すると後半20分にメキシコのカンポスにワンチャンスを決められ、メキシコに先制を許す。
さらに34分にもパッラに追加点を奪われ、万事休す。
シュートを打っても打っても点が入らない展開の試合では、たいがいワンチャンスで相手に得点を決められる‥まさにそんな試合でした。
日本はメキシコに0-2で敗れ、3戦全敗でグループリーグ敗退となった。
グループリーグ全敗の日本‥世界の壁は高かったのか?
昨日読んだasahi.com のコラムで、釜本邦茂のFW論がふと頭に浮かんだ。
早大で1年の時だった。合宿中、夜11時半ごろだったと思う。キャプテンが1年生全員に対し、いきなり集合をかけた。渋々、布団から起き出してキャプテンの部屋に行き、あぐらをかいて座り込むと、「全員、正座をしろ」という。キャプテンはただ、黙っている。そのまま20分間が過ぎ、「部屋に帰れ」と言われた。
何だ、これは? 何で呼ばれたのか、さっぱりわからん。みんなで検討したところ、消灯時間を過ぎてもしゃべっている奴がいたのを、トイレに行く途中にキャプテンが見かけ、連帯責任として罰を加えたのだろうという結論に落ち着いた。
理不尽な仕打ちだった。しゃべっている奴に注意すればいいだけの話だ。ただ、こういう理不尽さは、時には必要だと思う。
サッカーだけでなく、スポーツの中でフィジカル、技術、精神力の3つの要素がどれだけの割合を占めているかというと、結局は精神力が大きいものがある。
体をこれでもか、これでもか、とトレーニングで痛めつけることで、精神力は鍛えられる。反吐を吐くくらいの訓練に耐えることは、スポーツの世界の美徳だ。昔は何かあれば、監督が有無を言わさずにグラウンドを走らせた。体罰にも近いスパルタ訓練を全部が全部、肯定するわけではないが、否定できない面があるのも確かだ。スポーツは降参したら、おしまいだ。サッカーは、どんなに暑かろうが、寒かろうが、試合をやらなくてはいけない。時には、グラウンドコンディションが悪く、雨の中でドロドロになってやらなければいけないこともある。そんな状況で、「嫌だな」と思ったら、その時点で負けてしまう。そういう精神力は、中高生の世代で鍛えるものだ。ギブアップしたら終わり。そうならないようにするための訓練は、若い時に必要だ。
もちろん、プレーそのものは自由にやれば、よろしい。だが、自由の中には責任がある。権利を主張するには義務を果たさなければいけないのと同様、自由にプレーするためには、戦いを絶対にやめないという責任を果たす精神力がなければいけない。
今は、「何のために走るのか」と聞いてくる選手がいる。監督もそれを説明しなければならない時代になった。帝京高校の監督としていた古沼貞雄さんから聞いたことがあるが、「高校はJリーグユースと精神的な鍛えられ方が違う」という。ギリギリの勝負になったら、精神的に鍛えられている方が勝ちだ。Jリーグユースは選手を大事にしすぎているのではないか? 選手が飽きないようにと、練習のバリエーションばかりを考え、鍛えるということを忘れているのではないか? いい素材こそ、ガンガン鍛えなければいけない。時には、何も考えられないくらいになるまで追い込む必要がある。Jリーグユースは勝負を度外視していいところを伸ばすといっておいて、伸ばし切れていないから、みんな80点の選手ばかりだ。プロは100点を出さなければいかんのに、「優」はいても、「特優」はいないのが現状だ。サッカーエリート養成を目的に、日本サッカー協会が福島のJヴィレッジを拠点にして中高一貫で育成を図っているJFAアカデミー福島は4年目を迎えているが、いい選手を出しているのか?
ヤンマーディーゼルの監督時代、30メートルのパス練習を30分間、延々とやらせたことがある。選手というものは練習のパターンを読み、「この練習はそろそろ終わりだな。次はたぶんあのメニューだろう」と、気持ちが次の練習に行くもので、一つのメニューが終わりそうになると段々と雑になってくる。その時は、ひどく雑になっていたから、そればっかりやらせた。
ストライカー養成なら、余計なことをやらせないでシュート練習ばかりさせるんだ。「今日は、あそこに30本入るまでけれ」と、狭い隙間を狙わせて、正確にけらなければ得点など望めないことを体感させなければいけない。繰り返し、繰り返し、やらせることだ。何でここまでやらなきゃいけないんだ? と理不尽な思いをするくらいやる中で、正確性と精神力が備わり、苦しい状況で思った通りのシュートが打てるようになる。無茶苦茶が、実は無茶苦茶じゃない時がある。
プラチナ世代という表現はもうやめよう。。。
Posted by nyantomo1546 at 05:28│Comments(5)
│★サッカー 日本代表
この記事へのコメント
この世代は強いと聞いていたのに
残念です!(^^;
釜本さんの言葉は
どんな職業にも通じる言葉ですね
大切な事です!!(^^
残念です!(^^;
釜本さんの言葉は
どんな職業にも通じる言葉ですね
大切な事です!!(^^
Posted by にじの家
at 2009年10月31日 06:13

にじの家さん
ホント日本がこの年代で勝てなくてどうする?って感じです。
今まで日本はユース世代は華々しい戦歴を重ねてきたのに残念です。
そういえば静岡出身の代表選手もずいぶん減りましたね。
この中にも一人もいませんね(><)
釜本さんの言葉‥
さすがメキシコオリンピックの得点王です。
ホント日本がこの年代で勝てなくてどうする?って感じです。
今まで日本はユース世代は華々しい戦歴を重ねてきたのに残念です。
そういえば静岡出身の代表選手もずいぶん減りましたね。
この中にも一人もいませんね(><)
釜本さんの言葉‥
さすがメキシコオリンピックの得点王です。
Posted by なんでもオヤジ
at 2009年10月31日 06:41

窯元さん、いいっすね。そのとおりですよ。サッカー協会とかに彼を煙たがる人もいますが、彼こそ日本サッカーの前面に出てほしいです。よい経験をした、とかいうだけじゃだめなんですよ。練習でできないことを、普段のリーグ戦でできないことをW杯でできるわけないんですから。
あきらめたら終わり。常に向上心を持っていかねば。
あきらめたら終わり。常に向上心を持っていかねば。
Posted by 太郎 at 2009年10月31日 13:34
太郎さん
まさにおっしゃるとおりです。
釜本氏、杉山氏にもう少し前面に出てほしいと思います。
某会長みたいに、訳のわからない考えを押し付けるような方より釜本氏のほうが素晴らしい考えを持たれていると思います。
まさにおっしゃるとおりです。
釜本氏、杉山氏にもう少し前面に出てほしいと思います。
某会長みたいに、訳のわからない考えを押し付けるような方より釜本氏のほうが素晴らしい考えを持たれていると思います。
Posted by なんでもオヤジ
at 2009年11月01日 08:22

理不尽さが必要というのはある意味あたっているかもしれませんね。でも、最近は体育会系の理不尽さに対する批判も出ているので難しいところでしょう。特に、その理不尽さが体育会系の犯罪に結びついているという指摘もありますし。
例えば、服を脱ぐことを強要するノリがセクハラや性犯罪を招いているとかね。上級生に絶対服従という精神が体育会系の組織的犯罪がとめられない原因だとか。他にも、JRの福知山線の脱線事故の原因となった「日勤教育」も問題視されている。失敗したら見せしめ的な罰を課すことで、精神的に追い込み火事場のクソ力を出させるという体育会系的なノリの手法を取り入れていたわけだけど、そういうのは体をがむしゃらに動かす運動にこそ効果があるのであって、精密機械を正確に動かす運転手に対しては、百害あって一利ない。こういうのを見ると、理不尽さにも、良い理不尽さと悪い理不尽さがある。服を脱がせるとか品性下劣のきわみだし、そういう下劣なノリが体育会系を窮地に追い込むと思う。そもそも、母親が息子にスポーツをやらせたがらなくなるだろう。それこそ、スポーツ衰退の一途をたどるだけだと思う。
スパルタ式という方向性は間違っていないので、そこに品性を重視するような要素を入れなければ、絶対に廃れていくと思う。なので、釜本さんが言っているような、正座を強要とかだったら全然問題ないし、そういう美しい理不尽さは是非とも必要だと思う。
例えば、服を脱ぐことを強要するノリがセクハラや性犯罪を招いているとかね。上級生に絶対服従という精神が体育会系の組織的犯罪がとめられない原因だとか。他にも、JRの福知山線の脱線事故の原因となった「日勤教育」も問題視されている。失敗したら見せしめ的な罰を課すことで、精神的に追い込み火事場のクソ力を出させるという体育会系的なノリの手法を取り入れていたわけだけど、そういうのは体をがむしゃらに動かす運動にこそ効果があるのであって、精密機械を正確に動かす運転手に対しては、百害あって一利ない。こういうのを見ると、理不尽さにも、良い理不尽さと悪い理不尽さがある。服を脱がせるとか品性下劣のきわみだし、そういう下劣なノリが体育会系を窮地に追い込むと思う。そもそも、母親が息子にスポーツをやらせたがらなくなるだろう。それこそ、スポーツ衰退の一途をたどるだけだと思う。
スパルタ式という方向性は間違っていないので、そこに品性を重視するような要素を入れなければ、絶対に廃れていくと思う。なので、釜本さんが言っているような、正座を強要とかだったら全然問題ないし、そういう美しい理不尽さは是非とも必要だと思う。
Posted by // at 2009年11月01日 12:34
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