2011年09月04日 23:38
ロレンソが今季3勝目
http://race.yamaha-motor.co.jp/motogp/2011/rd13/110904-rd13.html
ヤマハ・ファクトリー・レーシングのJ・ロレンソは、スタート・トゥ・フィニッシュで今季3勝目を飾った。チームメイトのB・スピースは6位。モンスター・ヤマハ・テック3チームのC・クラッチローは10位、エドワーズは13位だった。
予選2番手フロントロウ中央発進のロレンソは、好スタートをきり第1コーナーをトップ通過。C・ストーナーがすぐ後につき、2人のテール・トゥ・ノーズのトップ争いが序盤は続く。ロレンソは10周目頃から徐々にストーナーを引き離して快走。折り返し点となる14周目には約2秒ほどリードを築き、その後もリードを拡大していった。2番手には終盤、D・ペドロサが上がってきたが、ロレンソはペドロサに約7秒の差で独走優勝のゴールを決めた。ストーナーは3位でゴールした。
予選4番手・2列目発進のスピースは、順調にスタートきったものの、前半はA・ドビツィオーゾ、V・ロッシ、M・シモンチェリらに先行されて7番手につける。そこからスピースは着実に追い上げていき、16周目にロッシをついにパス。その前を行くシモンチェリを追っていく。終盤に入るとシモンチェリ、ドビティオーゾ、スピースの4番手争いがダンゴ状態の接近戦となり、バトルは最終ラップまで縺れたが、スピースは挽回ならず僅差の6位でゴールした。
■大会名称:MotoGP第13戦サンマリノGP
■開催日:2011年9月4日(日)決勝結果
■開催地:イタリア/ミサノサーキット(4.226km)
■周回数28周(118.328 km)
■コースコンディション:ドライ
■気温:28度 ■路面温度:35度
■PP:C・スト―ナー(1分33秒138/ホンダ)
■FL:J・ロレンソ(1分33秒906/ヤマハ)
1 J・ロレンソ Yamaha Factory Racing Yamaha 44'11.877
2 D・ペドロサ Repsol Honda Team Honda +7.299
3 C・スト―ナー Repsol Honda Team Honda +11.967
4 M・シモンチェリ San Carlo Honda Gresini Honda +17.353
5 A・ドビツィオーゾ Repsol Honda Team Honda +17.390
6 B・スピース Yamaha Factory Racing Yamaha +18.092
7 V・ロッシ Ducati Team Ducati +23.703
8 A・バウティスタ Rizla Suzuki MotoGP Suzuki +30.678
9 H・バルベラ Mapfre Aspar Team MotoGP Ducati +37.502
10 C・クラッチロー Monster Yamaha Tech 3 Yamaha +37.720
11 青山博一 San Carlo Honda Gresini Honda +39.548
12 K・アブラハム Cardion AB Motoracing Ducati +40.506
13 C・エドワーズ Monster Yamaha Tech 3 Yamaha +53.349
14 R・ド・ピュニエ Pramac Racing Team Ducati +1'02.366
15 T・エリアス LCR Honda MotoGP Honda +1'20.156
W.レイニー、あの事故から18年ぶりにミサノ訪問
http://www.motogp.com/ja/news/2011/Wayne+Rainey+at+Misano+GP
ウェイン・レイニーを迎えるヤマハ主催のスペシャルイベントは2日、第13戦サンマリノ&リベイラ・ディ・リミニGPが開催されているミサノ・ワールド・サーキットで行われた。
1993年9月5日、当地で開催された第12戦イタリアGP決勝レースで、トップ走行中の11ラップ目にハイサイドから転倒。マシンから放り出され頭部からグラベルに落下した際に、第六頚椎を損傷する重症を負い、下半身不随で引退したが、18年ぶりに訪問。
MotoGPパドック内に準備された特別舞台の上に、ヤマハファクトリーライダーのホルヘ・ロレンソ、ベン・スピース、ヤマハ・モーター・レーシングのマネージングダイレクターのリン・ジャービス、ドルナ・スポーツのカルメロ・エスペレータと共に姿を見せた。
「これはプリティなクレージー。感動は予想以上に強烈だ」と、開口一番18年ぶりとなるミサノ訪問の感想を語った。
「ヤマハのグランプリ参戦50周年。これも大変特別なこと。僕のヨーロッパにおける最初のグランプリは1984年。このトラックで、ここでキャリアが終わった。君たちに言えることは、このようなレーストラックで楽しんだことはなかった。」
「ここに戻って来られてすごく嬉しい。僕を連れに戻してくれたヤマハに感謝した。ここを最後に訪れてから18年。ファンと友人、家族に感謝しないと。ヤマハは調子が良さそうだから、今週末はファンの1人になるつもりだ。」
ドルナ・スポーツのCEOエスペレータは、「ウェインは常にMotoGPに関わってきました。このチャンピオンシップのマネージメントにおいて、我々のミッションを継続するために素晴らしい支援をしてくれました。彼はアメリカにおけるグランプリの復帰に向けて、ラグナセカと我々を説得してくれました。」
「今日、ミサノに来てくれ、彼に言えることは、「ウェイン、MotoGPに捧げてくれた全てのこと、そして、このチャンピオンシップへの貢献に大変感謝します」と言うことだけです」と、感謝の言葉を送った。
アメリカ出身のスピースは、少年時代の英雄に対して、「1989年の終わりからグランプリを観るようになり、沢山のレースをテレビで観戦した。ウェインのことで僕の記憶に残っているのは、タフということ。」
「みんなは知らないだろうけど、1989年から1992年までのレースを録画したテープがあり、何度も見返して、記憶した。彼のようになりたい。そのためにベストを尽くす」と、偉大なライダーになることを誓った。