2011年02月13日
名波浩 講演会その1 【J特】
昨日、行われた名波浩氏の 講演会&トークショー!
今回は撮影禁止という事で、画像は無しです。
代わりにジュビロ君ジュビィーちゃんが壇上で大サービス

すでに参加されたブロガーさんが記事をアップされていますので、皆さんが書かなかった事を中心に‥
まずは第一部の講演会バージョンから
今回は撮影禁止という事で、画像は無しです。
代わりにジュビロ君ジュビィーちゃんが壇上で大サービス


すでに参加されたブロガーさんが記事をアップされていますので、皆さんが書かなかった事を中心に‥
まずは第一部の講演会バージョンから

講演会のテーマは
『チャレンジし続けること』
名波君はいままでの人生、色んな場面でチャレンジし続けてきた。
まず第一声が『はい!お昼食べて眠いでしょうが、講演に集中して~!』
小学校の頃からのエピソード紹介。
点取り屋ではなかったが、『俊足のチャンスメーカー』と言われていた。
ここで笑われる方は、その後の僕の経歴をご存知だと思います‥(大爆笑)
足が速いということで前線に置かれることが多かった。
点を取るときもあればアシストする時もあった。
4、5年から上の学年のチーム呼ばれるようになったが、体の大きくスピードのある5、6年の先輩がいては試合に出れない。
なかなか試合に出れなくて、とても悔しい思いをした。
その中に、渡辺毅という幼馴染がいた。(後に柏レイソルに入団)
彼は同級生なのに、上の学年でも背番号10を背負うバリバリのエースだった。
彼に対して敵対心やライバル心は無くて、憧れの方が強かった。
ああいう風になるにはどうすれば良いか?考えた。
フィジカルも非常強くて、長距離も短距離も速い!
彼のようになるにはどうしらよいか?いろいろ考えた結果
右ききと、左ききというお互いにのを利用して、彼が右サイド、自分が左サイドという仕事の場を作れればいいな!という感じで監督にアピールした。
それが功を奏して5年生の夏休みくらいからレギュラーとして試合に出れるようになった。
同じピッチに立てたのは嬉しかったけど、その後はお互いに負けたくないという気持ちが強くなり、ライバル関係として、お互い切磋琢磨していった。
最初のチャレンジが、この小学校時代のライバルに向かっていくという事を子供心にまず覚えた。
自分がサッカーをしていくうえで、父親と母親には親孝行したいなと考えた。
子供の頃、母親が台所でよく泣いていた。
それを見ていて、なんで泣いているんだと?と思ったら‥
長男と次男が俗にいう不良で、手に負えない子供に母親が毎晩泣いていた。
父親も巨人の星の星一徹のようで、ちゃぶ台をひっくり返すような喧嘩を兄達としていた。
とても刺激的な家族だった。
そんな母親の姿を見て、自分は親孝行をしなければと考えた。
では親孝行するためにはどうすればよいか?
それは自分のストロングポイントを伸ばすしかない!自分にはサッカーしかない。
では、この名波というスペシャリティな名前を有名にするにはどうしたら良いか?と考えた。
小学校のときにプロになりたいと作文書いたが、当時はJリーグも無くプロサッカーもない。
海外のどこの国でやりたいというのも無く、漠然と、とにかくプロの選手になりたいと強く思った。
それを遂行するためにはどうすれば良いか?
幼少時代、小学校、中学校 と名前を売っていかないといけないと思った。
それを遂行するためには、全国大会で活躍する事、優勝する事が重要だと考えた。
ご存知のように静岡県はサッカー王国といわれています。
その中で藤枝というサッカーの町に生まれたが、自分らが物心ついた頃には、すでにサッカーの中心は藤枝から清水に移っていた。
清水のサッカーは小学校、中学校、高校と各年代で全国制覇するスター軍団が揃っていた。
彼らに勝つためにはどうすればよいか?
自分達のチームは、
藤枝市では1位であったが、県大会で1回戦負け
5年のときには清水6位の岡小(田中誠がのちに所属)に負けた。
6年の時には、渡辺、名波の名前も知られ優勝候補と言われていた。
しかし、まったく無名の東部12位の長泉というチームに2-0で完封負けてしまった。
小学校時代には自分の思いは果たせなかった。
中学校時代には3年生のとき静岡県大会で優勝!全国大会に進出
残念ながら全国3位という結果に終わりましたが
僕にとってはじめての初めての輝かしい戦跡を残せた。
まず全国大会に出ると言うチャレンジをクリヤーする!
続いて人生の岐路 まず第一歩 進路設定です。
地元藤枝には、藤枝東高校という素晴らしいサッカーの名門校がったが、まったく行く気がしなかった。
なぜかというと、藤枝東の授業時間が長い!1時限が65分授業で、普通の学校より15分も長い。
この15分の違いが苦痛で、サッカー以外のことで集中力の無い自分には無理だと思った。
みなさんに最初、集中しろ(講演会に)と言っておいて、こういうことを言うのはあれですが‥(爆笑)
最初は地元の藤枝北高校に進学するつもりだったが、ここで人生の転機が訪れる。
清水市立商業の大滝監督から電話がかかり、うちに来て欲しいと言われた。
両親に『どうする?』と聞かれ『行きたいと!』と即答
『親元を15歳で離れるが大丈夫か?』と言われたが、もう大丈夫と言うしかない!
この決断はのちに正しかった思った。
ただ越境留学にあたって、大問題がおこる。
磐田市から浜松市というレベルではなく。
阪神から巨人へ、民主党から自民党に鞍替えするくらい、それくらいの衝撃的な事件であった。
中学3年の冬に、母親がまた台所で泣いていた。
また兄貴がやったか?今度はどっちだ?と思ったら、自分の進学のことで泣いていた。
清水への進学で、まわりの父兄や、教育委員会、近所のひと達に、ある事ない事色々言われて泣いていた。
3年間で5つのタイトルを獲得出来たことからも、この決断(チャレンジ)は間違っていなかった事が証明された。
大学に進学を決めたのは、長男次男と出来が悪くて、3男は頭が良かったが進学しなかった。
4男くらいは大学に行かせた方がいいだろう!という理由で大学進学が決まった。
その後、プロ入りするにあたって、Jリーグの10球団が争奪戦を繰り広げる中、ジュビロ磐田に入団を決めたのは、まず藤枝に近いチームという事。
親が観戦に来やすいという事で決めた。
そして一緒にプレーしたいライバル 藤田俊哉がいた事もその理由だった。
ただ観客席に、名波の親が来ている事を知らないファンもまわりにいる訳で、『名波を代えろ!などの』野次で、親は針のむしろ状態の時もあったみたいです。
Jリーグの背番号が固定制になった時に、
代表でチームを離れていた名波君にジュビロから電話がかかってきて。
「来年から固定番号になるけど何番がいい?」と聞かれ。
「何番が空いてる」と聞いたら、「7番と10番」しか残っていないと言われた。
「だったら7番」という事で、背番号7が誕生したそうです。
その時、藤田俊哉選手が名波君の返事待ちをしていて、
名波君が7番を取ったので、藤田俊哉選手は残った10番を着けることにしたそうです。
ちょっと出来すぎた話ですが、俊哉の優しさが伝わるエピソードですね。
その後の福西君とのトークショーでは、福西君へはその翌年に電話がかかってきて、一桁番号は残っていないけど、何番がいい?と言われたそうです‥ (笑)
その他。色々と面白い内容の講演会でしたが‥
名波君が現役時代に常に思っていたのは‥
優勝するチームに長くいる事より、新しいチームで新しい目標にチャレンジする事!
これが大事だそうです。
セルジオ越後氏と松木氏の爆笑裏話‥
残念だった 上田康太選手 移籍の理由‥
以降、第二部のトークショーに続く‥
☆おまけ☆
ジュビィちゃんの『ラブ注入~
』

最近ジュビィちゃんのキャラが変わったよね?

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名波君はいままでの人生、色んな場面でチャレンジし続けてきた。
まず第一声が『はい!お昼食べて眠いでしょうが、講演に集中して~!』
小学校の頃からのエピソード紹介。
点取り屋ではなかったが、『俊足のチャンスメーカー』と言われていた。
ここで笑われる方は、その後の僕の経歴をご存知だと思います‥(大爆笑)
足が速いということで前線に置かれることが多かった。
点を取るときもあればアシストする時もあった。
4、5年から上の学年のチーム呼ばれるようになったが、体の大きくスピードのある5、6年の先輩がいては試合に出れない。
なかなか試合に出れなくて、とても悔しい思いをした。
その中に、渡辺毅という幼馴染がいた。(後に柏レイソルに入団)
彼は同級生なのに、上の学年でも背番号10を背負うバリバリのエースだった。
彼に対して敵対心やライバル心は無くて、憧れの方が強かった。
ああいう風になるにはどうすれば良いか?考えた。
フィジカルも非常強くて、長距離も短距離も速い!
彼のようになるにはどうしらよいか?いろいろ考えた結果
右ききと、左ききというお互いにのを利用して、彼が右サイド、自分が左サイドという仕事の場を作れればいいな!という感じで監督にアピールした。
それが功を奏して5年生の夏休みくらいからレギュラーとして試合に出れるようになった。
同じピッチに立てたのは嬉しかったけど、その後はお互いに負けたくないという気持ちが強くなり、ライバル関係として、お互い切磋琢磨していった。
最初のチャレンジが、この小学校時代のライバルに向かっていくという事を子供心にまず覚えた。
自分がサッカーをしていくうえで、父親と母親には親孝行したいなと考えた。
子供の頃、母親が台所でよく泣いていた。
それを見ていて、なんで泣いているんだと?と思ったら‥
長男と次男が俗にいう不良で、手に負えない子供に母親が毎晩泣いていた。
父親も巨人の星の星一徹のようで、ちゃぶ台をひっくり返すような喧嘩を兄達としていた。
とても刺激的な家族だった。
そんな母親の姿を見て、自分は親孝行をしなければと考えた。
では親孝行するためにはどうすればよいか?
それは自分のストロングポイントを伸ばすしかない!自分にはサッカーしかない。
では、この名波というスペシャリティな名前を有名にするにはどうしたら良いか?と考えた。
小学校のときにプロになりたいと作文書いたが、当時はJリーグも無くプロサッカーもない。
海外のどこの国でやりたいというのも無く、漠然と、とにかくプロの選手になりたいと強く思った。
それを遂行するためにはどうすれば良いか?
幼少時代、小学校、中学校 と名前を売っていかないといけないと思った。
それを遂行するためには、全国大会で活躍する事、優勝する事が重要だと考えた。
ご存知のように静岡県はサッカー王国といわれています。
その中で藤枝というサッカーの町に生まれたが、自分らが物心ついた頃には、すでにサッカーの中心は藤枝から清水に移っていた。
清水のサッカーは小学校、中学校、高校と各年代で全国制覇するスター軍団が揃っていた。
彼らに勝つためにはどうすればよいか?
自分達のチームは、
藤枝市では1位であったが、県大会で1回戦負け
5年のときには清水6位の岡小(田中誠がのちに所属)に負けた。
6年の時には、渡辺、名波の名前も知られ優勝候補と言われていた。
しかし、まったく無名の東部12位の長泉というチームに2-0で完封負けてしまった。
小学校時代には自分の思いは果たせなかった。
中学校時代には3年生のとき静岡県大会で優勝!全国大会に進出
残念ながら全国3位という結果に終わりましたが
僕にとってはじめての初めての輝かしい戦跡を残せた。
まず全国大会に出ると言うチャレンジをクリヤーする!
続いて人生の岐路 まず第一歩 進路設定です。
地元藤枝には、藤枝東高校という素晴らしいサッカーの名門校がったが、まったく行く気がしなかった。
なぜかというと、藤枝東の授業時間が長い!1時限が65分授業で、普通の学校より15分も長い。
この15分の違いが苦痛で、サッカー以外のことで集中力の無い自分には無理だと思った。
みなさんに最初、集中しろ(講演会に)と言っておいて、こういうことを言うのはあれですが‥(爆笑)
最初は地元の藤枝北高校に進学するつもりだったが、ここで人生の転機が訪れる。
清水市立商業の大滝監督から電話がかかり、うちに来て欲しいと言われた。
両親に『どうする?』と聞かれ『行きたいと!』と即答
『親元を15歳で離れるが大丈夫か?』と言われたが、もう大丈夫と言うしかない!
この決断はのちに正しかった思った。
ただ越境留学にあたって、大問題がおこる。
磐田市から浜松市というレベルではなく。
阪神から巨人へ、民主党から自民党に鞍替えするくらい、それくらいの衝撃的な事件であった。
中学3年の冬に、母親がまた台所で泣いていた。
また兄貴がやったか?今度はどっちだ?と思ったら、自分の進学のことで泣いていた。
清水への進学で、まわりの父兄や、教育委員会、近所のひと達に、ある事ない事色々言われて泣いていた。
3年間で5つのタイトルを獲得出来たことからも、この決断(チャレンジ)は間違っていなかった事が証明された。
大学に進学を決めたのは、長男次男と出来が悪くて、3男は頭が良かったが進学しなかった。
4男くらいは大学に行かせた方がいいだろう!という理由で大学進学が決まった。
その後、プロ入りするにあたって、Jリーグの10球団が争奪戦を繰り広げる中、ジュビロ磐田に入団を決めたのは、まず藤枝に近いチームという事。
親が観戦に来やすいという事で決めた。
そして一緒にプレーしたいライバル 藤田俊哉がいた事もその理由だった。
ただ観客席に、名波の親が来ている事を知らないファンもまわりにいる訳で、『名波を代えろ!などの』野次で、親は針のむしろ状態の時もあったみたいです。
Jリーグの背番号が固定制になった時に、
代表でチームを離れていた名波君にジュビロから電話がかかってきて。
「来年から固定番号になるけど何番がいい?」と聞かれ。
「何番が空いてる」と聞いたら、「7番と10番」しか残っていないと言われた。
「だったら7番」という事で、背番号7が誕生したそうです。
その時、藤田俊哉選手が名波君の返事待ちをしていて、
名波君が7番を取ったので、藤田俊哉選手は残った10番を着けることにしたそうです。
ちょっと出来すぎた話ですが、俊哉の優しさが伝わるエピソードですね。
その後の福西君とのトークショーでは、福西君へはその翌年に電話がかかってきて、一桁番号は残っていないけど、何番がいい?と言われたそうです‥ (笑)
その他。色々と面白い内容の講演会でしたが‥
名波君が現役時代に常に思っていたのは‥
優勝するチームに長くいる事より、新しいチームで新しい目標にチャレンジする事!
これが大事だそうです。
セルジオ越後氏と松木氏の爆笑裏話‥
残念だった 上田康太選手 移籍の理由‥
以降、第二部のトークショーに続く‥
☆おまけ☆
ジュビィちゃんの『ラブ注入~


最近ジュビィちゃんのキャラが変わったよね?

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Posted by nyantomo1546 at 07:07│Comments(14)
│名波浩
この記事へのコメント
ナナさんのやんちゃな(^^;)お兄さん達の話は存じ上げなかったので驚きましたし、だからこそ今、ご自身のご家族には気遣いし、大事になさっているのかも知れないですね。
俊哉さんの10番が残りものだったとは・・・でも、しっかり福がありましたね(^^)
俊哉さんの10番が残りものだったとは・・・でも、しっかり福がありましたね(^^)
Posted by こひ at 2011年02月13日 10:21
にゃんともオヤジさんまずは第一部お疲れ様でしたm(__)m
読み込んでしまいました。
名波さんメッチャ苦労人なんですね、泣けますわ〜(┬┬_┬┬)
しかも微塵もそういう陰的な部分を表に出さないでおられるのは簡単なことではないでしょうね。
名波さんのことをもっと好きになりました(^O^)/
今夜のやべっちFCでるのかな?
第二部も楽しみにしております。
読ませて頂くばかりで何もできませんが御自愛くださってボチボチとやってくださいませ。
読み込んでしまいました。
名波さんメッチャ苦労人なんですね、泣けますわ〜(┬┬_┬┬)
しかも微塵もそういう陰的な部分を表に出さないでおられるのは簡単なことではないでしょうね。
名波さんのことをもっと好きになりました(^O^)/
今夜のやべっちFCでるのかな?
第二部も楽しみにしております。
読ませて頂くばかりで何もできませんが御自愛くださってボチボチとやってくださいませ。
Posted by z56saku2 at 2011年02月13日 12:58
有難うございます。
手に取るようにわかる報告嬉しいです。
手に取るようにわかる報告嬉しいです。
Posted by さほ at 2011年02月13日 23:45
詳細記事お疲れ様です!
初めて聞く内容の話ばっかりだったのでとてもおもしろかったです。
親孝行、自分もしないとなぁ。
>上田康太選手 移籍の理由..
7番を背負うのは康太しかいないと思っていたので、とても気になります!
初めて聞く内容の話ばっかりだったのでとてもおもしろかったです。
親孝行、自分もしないとなぁ。
>上田康太選手 移籍の理由..
7番を背負うのは康太しかいないと思っていたので、とても気になります!
Posted by タカクラシュウスケ at 2011年02月14日 18:56
オヤジさん こんばんは。
これ! 全部 頭の中に入ってたんですかw(゚o゚)w???
すっげー(>_<)
私なんて 書き留めるだけで一苦労。
でも、楽しい時間でしたね。
名波先生の授業を、受けてみたくなりました^^;
色々、ありがとうございました(^0^)/
あ…
そうそう。
昨晩は、申し訳ありませんでした…。
これ! 全部 頭の中に入ってたんですかw(゚o゚)w???
すっげー(>_<)
私なんて 書き留めるだけで一苦労。
でも、楽しい時間でしたね。
名波先生の授業を、受けてみたくなりました^^;
色々、ありがとうございました(^0^)/
あ…
そうそう。
昨晩は、申し訳ありませんでした…。
Posted by にしむら at 2011年02月15日 01:46
はじめまして
いつも拝見させていただいております。
ほかの方もコメントされておりますが、
>上田康太選手 移籍の理由..
名波さんが話された内容を教えていただけませんか。
よろしくお願いいたします。
いつも拝見させていただいております。
ほかの方もコメントされておりますが、
>上田康太選手 移籍の理由..
名波さんが話された内容を教えていただけませんか。
よろしくお願いいたします。
Posted by うち at 2011年02月15日 07:37
こひさん
ホントそう思います。AB型は基本、争い事が嫌いですからね。
>俊哉さんの10番が残りものだったとは・・・でも、しっかり福がありましたね(^^)
そうですね。残りもので良いっていうところが俊哉らしいです。
次世代の10番は決まりましたし!次の7番は誰になるのか気になりますね。
ホントそう思います。AB型は基本、争い事が嫌いですからね。
>俊哉さんの10番が残りものだったとは・・・でも、しっかり福がありましたね(^^)
そうですね。残りもので良いっていうところが俊哉らしいです。
次世代の10番は決まりましたし!次の7番は誰になるのか気になりますね。
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 11:40
z56saku2さん
>にゃんともオヤジさんまずは第一部お疲れ様でしたm(__)m
いえいえ!ありがとうございます。
>名波さんメッチャ苦労人なんですね、泣けますわ〜(┬┬_┬┬)
ホントそうですね。
順風満帆のサッカー人生じゃなかったなんつ…はじめまして知りました。
名波&福西ってホントにいい組み合わせです。
第二部も、やっと完成しました!
ある意味超大作です(^_^;
>にゃんともオヤジさんまずは第一部お疲れ様でしたm(__)m
いえいえ!ありがとうございます。
>名波さんメッチャ苦労人なんですね、泣けますわ〜(┬┬_┬┬)
ホントそうですね。
順風満帆のサッカー人生じゃなかったなんつ…はじめまして知りました。
名波&福西ってホントにいい組み合わせです。
第二部も、やっと完成しました!
ある意味超大作です(^_^;
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 11:46
さほさん
ありがとうございます!
出来るだけ忠実に会話を再現しました。
第二部も楽しんで下さい。
ありがとうございます!
出来るだけ忠実に会話を再現しました。
第二部も楽しんで下さい。
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 11:48
タカクラさん
コメントありがとうございます。
>初めて聞く内容の話ばっかりだったのでとてもおもしろかったです。
そう言って頂けると嬉しいです。
>親孝行、自分もしないとなぁ。
親孝行は元気でいてくれるうちにしないといけませんよ(^0^)/
>上田康太選手 移籍の理由..
読んで頂けましたか?
まさか、そんな事があったなんて…
コメントありがとうございます。
>初めて聞く内容の話ばっかりだったのでとてもおもしろかったです。
そう言って頂けると嬉しいです。
>親孝行、自分もしないとなぁ。
親孝行は元気でいてくれるうちにしないといけませんよ(^0^)/
>上田康太選手 移籍の理由..
読んで頂けましたか?
まさか、そんな事があったなんて…
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 11:51
にしむらさん こんにちは♪
>これ! 全部 頭の中に入ってたんですかw(゚o゚)w???
そう!凄い記憶力でしょo(^-^)o
な、訳ないです!
ただでさえ記憶力が衰えてるんですから〜
ある秘密兵器を…
その秘密はまた今度(^_^;)
>名波先生の授業を、受けてみたくなりました^^;
自分もそうです!
あんな先生なら自分も受けたいです♪♪
>そうそう。
>昨晩は、申し訳ありませんでした…。
宅急便で送るかもしれません(^O^)
>これ! 全部 頭の中に入ってたんですかw(゚o゚)w???
そう!凄い記憶力でしょo(^-^)o
な、訳ないです!
ただでさえ記憶力が衰えてるんですから〜
ある秘密兵器を…
その秘密はまた今度(^_^;)
>名波先生の授業を、受けてみたくなりました^^;
自分もそうです!
あんな先生なら自分も受けたいです♪♪
>そうそう。
>昨晩は、申し訳ありませんでした…。
宅急便で送るかもしれません(^O^)
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 11:56
うちさん
はじめましてm(__)m
コメントありがとうございます♪
>>上田康太選手 移籍の理由..
第二部のトークショーでアップしました!
人それぞれ感じ方がそれぞれ違うと思いますが…
今後ともよろしくお願いします!
はじめましてm(__)m
コメントありがとうございます♪
>>上田康太選手 移籍の理由..
第二部のトークショーでアップしました!
人それぞれ感じ方がそれぞれ違うと思いますが…
今後ともよろしくお願いします!
Posted by にゃんともオヤジ at 2011年02月16日 12:00
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